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〜A君の若き時代の思い出 (2002.8 BBSの書き込みより)〜
A君の話。

BBSに書きこまれた内容ですが反響がありましたので載せてみました。
これはエッセイなんて品の良い話ではありません。

A君の若い時代のお話です。お暇なときにどうぞ。

A君は田舎で生まれ田舎で育った。
そのA君が高校卒業とともに東京、横浜で一人暮らしを始める話です。
 
●A君上京前の序章
高校時代までのA君は今と体の一部が違う。
ホー○○の手術をしているのだ。小さい頃から友達と立ち小便をするときに感じていたらしい。
小便が飛び散ってしまうのである。
トイレを汚して小さい頃からよく親に叱られたというのだ。

上京が決まっていたA君は決心をした。手術するしかない!
これから東京で花の一人暮らしが始まるのだ。何のために東京へ上京するというのだ。

手術費用が8万掛かると雑誌で調べていた彼は金が無いのでおふくろに言っそうな。
”ホー○○”の手術するから金くれ!
そしたら親父は言った。
そんなのは自然に剥けるんだ!  ばか親父。真性ホー○○ってのをいい歳しても知らないらしい。

へたなキズをつけたくないのでG大病院へ行って診察を受けた。
先生はちょこんとつまんでいった。”だめだ、こりゃあ〜”。

これから上京して青春、ムキムキ予定で希望一杯のA君は直ぐに手術を申し出た。
G大から別の病院へ回された。

そこの受付の看護婦はめちゃめちゃ美人で凄いグラマーな色っぽい人だった。
それでも彼はめげなかった。口をつぼめてこう言った。
”ホー○○の手術おねがしまーす”。
お姉さんはニコニコしながら”は〜い!”。

手術の日がやってきた。ジーパンは履いてくるなと言われた。
裸になって前が開く手術着を着せられてベッドに横になるように言われた。
隣の部屋では若い看護婦がキャーキャー楽しそうにしている。

ここで勘違いされては困るのは...A君も当初心配していた”○ったらどうしよう!”。
若い看護婦さんが一杯いるのだ。そこで丸裸になる。
しかし、○つことが絶対に無いことが分かったらしい。
それは手術だからだ。

”真名板の鯉”とは良く言ったものだ。こんなときに○つやつなんかいる訳ない。
手術が始まるとまずオケケをお姉さんに剃られるらしい。
やはり絶対に○たなかった。恐怖の方が強いのだ。

手術が始まった。局部に麻酔。後はもう分からない。
ところが途中で麻酔が切れてきた。縫うのが分かるのだ。
力をこめてA君は耐えた。縫う瞬間に力をいれて耐えきったのだ。

終わったあと体をやっと起こしてみるとベッドに汗で人型が出来ていた。 ”終わった〜”。
控え室にヒコヒコ行くと先に手術をした20代の会社員が居て
”やったんですか?”
”はい、痛いッス”
”私も。でもこれから仕事なんです”といってヒコヒコと出て行った。

これが彼の上京前の一ヶ月前の出来事。
4月の上京のための引越しは自分では出来ず(ガニ股でやっと歩いていたらしい)
情けないことに親、知り合いにやってもらった。
通院も免許を取ったばかりの親友に送ってもらっていたほどだ。

包帯をつけたままA君は上京した。
困ったことに部屋にはお風呂が無い。銭湯に行くしかないのだ。
手術後のアソコの状態はすさまじかった。
なにしろ亀○が腫れていて包帯の上は亀○が二つになっていたのだ。
それでも清潔にしないといけない。
隠しながら銭湯に通った。ほぼ二ヶ月経つと今の状態になった。

これはその後仲間の間で勲章となっていた。
”十文字のキズを持つ男”と女性に(なんで?)称えられていたのだ。

A君は後になって只一つ後悔したらしいのだ。
実は手術に保険が利いたらしいのだ。数千円で済んでしまったという。

親に言うことなんかなかったのだ。アホな奴!



●A君の学生時代の思い出-1- 〜怖い町 蒲田〜
東京の学生時代、蒲田という東京でもヤク○が多くて非常に危険な町に住んでいた。
(TVでもA君の下宿前が”蒲田の危険地帯”と紹介されていたほど)

怖い思いはいっぱいしたらしい。ヤク○が下宿に入ってきたり、飲み屋で店主とケンカになったり、
夜中に遊んでいると女性の叫びがあったりしたがこれは”つつもたせ(美人局?)”と言って助けにいくと
女性の仲間からカツアゲされる手があったので手助けしない。
(横浜の仲間は当時からそういうのを良く知っててA君にアドバイスしていた)

そんな下宿の近くにフル〜イ映画館がありました。そういった系の映画館です。
仲間と行ったりしていたが、そこに男に近寄ってきてお触りしてくる男の話が出回りだした。

電気、コンピュータ系の学校だっため、仲間の一人が触れると電気でシビレル仕掛けを作り
ズボンの中に忍ばせて一人で懲らしめに出かけて行った。
予定どおり男が隣の席に座った。寄ってきてズボンの上に手を掛けたそうです。
ところが...悲しいかな、機械が動かず電気が流れなかったそうです。
その後のことは...A君も知らないらしい(笑)

A君が当時(15年ほど前)住んでいた蒲田というのは、そういった東京の怖い町として知られていた。
四畳半、共同トイレ、駅から徒歩5分で当時1万2千円の宿代。
そこに仲間が13人泊まったことがあるそうだ(女性含め)。

学校の目の前だったためお昼になると必ず誰かが彼の部屋でTVを見て弁当食っていた。
女を連れ込まれて本人が締め出されたこともあったそうだ。

すさんだ場所に田舎から出てきた若者が怖い町の裏表を見ながら生活していたのだ。
当時のA君は若いパワーで都会で一人で生きていた。

悲惨な仲間がいた。沖縄から状況していた奴。
沖縄から東京へ昔仲間5人が遊びにきたそうな。
彼等が帰ってから発覚したのは16万円の電話代の請求書!

A君の食生活。昼飯、夕飯はほとんどが吉野屋。
1ヶ月毎日通ってさすがに飽きて松屋に変更。

吉野屋では仲間と食い終わった後に、ドンブリに紅しょうがをたんまり入れて(お互いに黙ったまま)足で突くのを合図に一気食い。
何でそんなことしてたか今は分からないという。

他には350円のカツドン。アブラが古くて必ず腹をこわす。
とにかく安くて大盛りの場所を探していたのだ。
金がなく当時銀行は土、日はやっていない。
金、土、日と3食ごはんと味噌汁だけで過ごすと体重が2kg落ちた。
タバコ代も困った。10円をかき集めて食べ物を買うかタバコを買うか悩んだ。

お風呂はもちろん銭湯。
仲間と行ってカミの毛を洗っているときが一番やばい。
いつまでたっても泡が取れない。
上からシャンプーがどんどん追加。すね毛も剃られる。もちろん逆に剃ってあげる。

友人から夜中に電話で呼び出されて”キンチョール持ってこい!ガチャン”。
持っていくと”ジーッと天井を見て黙って手を指している。
ゴキブリだ。
よしじゃあ、とシューッとやったらゴキがA君に飛んできた。
下で傍観していた仲間は腰を抜かしA君をゴキに向けて”ヒエ〜ッ”と押しやがったそうだ。

ある時の夜中はコナミの姉ちゃんが来てるから来いよ〜っと呼び出されたらしい。
行ってみるとゲームの姉ちゃん。「コナミ」はゲームメーカ。くだらない。

もう一人の奴は部屋のカラーボックスを指さしている。見るとジュース缶がたんまり。
二人に”どうした?”と聞くと自販機でジュースを買ったら、機械が壊れたらしくボタンを押すと全部出た、という。
夜中の蒲田をジュースを”カラカラ”落として音を立てて持ってかえってきたらしい。
それもヘラヘラしながら”やった〜、やった〜”って。 
(横浜のやつらはもっとひどい。車に自販機積んだとか。ほんとかうそか?)

その晩3人で寝ていると一人が朝方なんか言ってたそうな。
見ると真っ暗な中、体を起こして目を閉じたままTVの画面を見て”ストップ!”と叫んでる。
朝までそういうゲームをしてたから寝ぼけてやがる。

マージャン屋(他の仲間の部屋についた名前)では、役満だすと名前と紙を貼ってた。
覚えた初日にスーアンコー出して後ろで見ていた後輩が震えた声で”それ役満ッス!”と小声で教えた。

とにかく金が無くA君もバイトがメインになっていたし他のやつはパチンコで両親の仕送りも止めていた。

A君のバイトは不二○。ケーキだけは困らなかった。
余り物、仕事中につまみ食い。
同じ系列の31(サーテイワン)というアイス屋に回ったときは凄かった。

女性が20人以上も目の前で注文してくるのだ。物欲しそうな目で。
しかしこれはかなりの重労働。手首が悲鳴をあげた。
街角にペ○ちゃんのぬいぐるみを来て駅前で立ったこともあった。
これが以外とおもしろい。

何しろ女の子に手を振ると彼女達は喜んで手を振っておまけに抱きついてくるのだ。
しっかりお返しもしてた。
ガキんちょもやってきた。口の穴から覗きこみ”メガネだ〜”。

毎日がバイトだった。


●A君の学生時代の思い出-2- 〜Hという凄い奴 Part.1〜
A君の仲間の一人に凄いケンカの強い奴がいた。
Hという奴。毎晩家でバーベルをあげているのだ。二枚目でカッコもいい。

ケンカっぱやくて片手で相手の襟を持って相手が浮いてしまうほど。
横浜の自宅から通っていたので、一人暮らしのA君は良くそいつの家に行っては妹二人に”Aが来た〜”と、
からかわれては メシをご馳走してもらってた。

この妹の一人はまだ中学生。
A君の目の前で飼っていたマルチーズ(オス)の発情期に手抜きをしてあげる大した女子中学生だった。

HはよくA君を”族狩り”に誘ってくれた。
湘南にドライブに行ってたむろしている連中に向かって指を立て”カモ〜ンだよお”と相手を誘うのだ。
車から出されたHのその腕の太さを見ると族もビビッて寄ってこない。
(一度10台以上に追いかけられて死にそうになったらしい)

HとA君が湘南にドライブしていた時だ。
前を走っている車がトロトロしていたのだ。運転者はA君。
助手席のHは”どけ〜このやろ〜”と窓から顔を出して叫んだ。

信号が赤になったとき、前の2台からヤンキーが7人ほど出てきた。
助手席のHを引きづりだした。
運転手のA君も一緒に引きづりだされた。
その中の一人にキレタ奴がいて”キエ〜”っと奇声をあげて凄い勢いでHに殴りかかっている。

何故かHは手をださない??
たぶんA君から見た限りではあの人数では絶対にHは負けないはず?

A君は元々ガキっぽい風貌のせいかほとんど手を出されなかった。
A君は間に入ってHをかばって止めにはいった。
そんなA君も中坊のころからカラテを習っていて、素人の殴り、蹴りは痛くなかったという。
(そんなもんです。カラテやっている人の蹴りの強さは半端ではないから)

その後、車を分担させられて事務所に連れて行かれることになった。

なんてことはない運送会社のペ○○○便の事務所だ。
そこにもヤンキーが一杯いた。
手を出さなかったためか、”おまえ等勇気あんなあ〜”と言われて酒を出してくれた。
相手の中にはヤク○もいたので”手を出さなかったのは良かったぜ”とも言われた。
なんだか仲良くなって”じゃあなあ〜、気をつけろよー”と言われて帰った。

A君は帰り道でHに
”おまえ、なんでやっちゃわなかったの? 勝てたろ?”と聞いた。
Hはこういった。
”俺が手をだしたらオマエがやられると思ったから”。

そんな友達がいるもんだ。


●A君の学生時代の思い出-3- 〜Hという凄い奴 Part.2〜
Hという奴はもの凄い奴だった。横浜生まれ、横浜育ち。
プロテインとバーベルで体を鍛えまくっていたが、たまにバーベルが首にはまって動けなくなると二階から
一階の家族に”たすけてくれ〜”と叫ぶらしい。(後に横浜のボデイービルダー大会で4位入賞したとか)

何しろ80kg以上のバーベルをあげているのだ。
本人曰く、”俺はロッキー”。

好きな音楽はブルーススプリングステイーン。
餃子の大食いに挑戦し見事クリアしお店には”ブルースH様”と貼られてた。

初体験が中2でビルの屋上というのだ。
H本人さえびっくりしたのが相手の女の子は中一だったのだが処女で無かったのだ。

A君のアパートは学校の目の前だったので溜まり場だったのだが、朝によくA君を迎えに来てた。
ある晩A君のアパートに彼女が泊まったことがあった。

その朝は、まずゴキブリ退治野郎が迎えにきた。
”学校行くぞー”。 
A君はドアもあけずに”行かなーい!”。彼はピンと来たらしく走って出て行った。A君ヤバイと思った。

その1時間目の休み時間にHがやってきた。
アパートは靴を脱いで部屋まで廊下を歩いて通るのだがHの奴はその入り口で大声でこう叫んだ。
”おーい、A〜!。やったか〜”....  
隣で彼女は笑って転げ回ってる(普通部屋の前で聞くでしょう)。

その後彼は消防学校に入って見事な体力を示したのだがキレ易いのが欠点で辞めてしまった。
田舎育ちのA君は横浜には凄い奴がいるなあと感じた。

その後、A君も仕事で横浜に8年住んだが、H以上に凄いやつは居なかったという。



●A君の学生時代の思い出-4- 〜5対1のケンカ〜
学生時代のA君のアパートは学校の道を隔てたボロアパートに住んでいた。
そのため溜まり場になったのだが、そんな付き合いで学校の公式行事の学生会に参加することになってしまった。

なんてこてはない、学祭と学校運動会のための生徒運営による組織だ。
それは会社に非常に似ていた。生徒会長みたいのがいて、その下に幾つもの組織があるのだ。
A君はあるグループに入った。それはとても有意義なものだったらしい。

何故かというと...

素晴らしい女に出会ったのだ。彼女はハーフのような子だった。A君は完全に一目ぼれ。
地元の田舎では見たことが無かったような美人だった。
彼女は横浜育ち。隣のチームの子だったが直ぐに仲良くなっていた。
(A君は卒業後、彼女とすぐに再会し何年か付き合い結婚の約束もしたが結局別れた)

A君は電子工学科に入っていたのだがそこは一クラスに160人もいた。
科は全部で8クラス。つまり8x160で1200人ほどいたのだ。

しかしこの科で女性はたったの3人。(2年制で2年に上がるときにクラスは半分の80人になった)
それが生徒運営の組織に入ったことによってA君は女性友達が急激に増えた。
何しろ学校は日本有数のマンモス学校で1万人を越える。
入学式と卒業式が日本武道館なのだ。よって科によっては女性が多いいのだ。

あるとき揉め事が起こった。
A君と一緒に行事活動をしていた(これまたかわいい子)
数人がある男のアパートに入り浸りになり組織の活動に来なくなったのだ。
サブリーダーだったA君は仕方なくそのアパートに行って外から大声で呼び出した。
すると男が5人ほど飛び出してきた。

町の片隅に引っ張られ男5人に取り囲まれてA君はボコボコ。
が、A君は空手の経験があるためポイントはすべてカバーし、また蹴られても素人の蹴り、
パンチなんて痛くも何とも無いのだ。
実際長い間やられたがどこも腫れなかったみたい。

彼女達が止めに入ってきてA君に泣きながら詫びを入れた。
A君はその後”戻るぞ〜”といって彼女たちと学校に戻った。

トイレに入ってA君は一人で泣いてしまった。悔しかったのだ。痛くなんかない。
ただ当時のA君はバカ真面目だから空手をケンカに使うことをしないと決めていた。
だから手は出さなかった。
いや、たぶん5人を相手に手を出して勝てる勇気が無かったのだろう。

数日後、その5人と学校で会った。
そしたらリーダー格の奴がA君に声を掛けてきた。
”お前勇気あんなあ〜名前教えてくれよ”。
その後彼等と会うことはほとんど無かったが5対1でも逃げなかったことを彼等は認めてくれたようだ。

A君曰く、
今覚えば...ブチのめしてやれば良かった!

当時はまだ空手やっていたので勝てた。まだ上京したてでウブだったのだ。

●A君の学生時代の思い出-5- 〜泊まっていた女性達〜
ウブといえば...

A君のアパートにはかなりの数の女性が泊まったという。数人の付き合った彼女達。友人としての女性達。

当然付き合っていた彼女たちとはそれなりだったがすぐに別れていった。
A君は熱しやすくて冷めやすい典型的なAB型といえる。
友人が好きだった女性を奪ってしまったこともあった。ひどい話だ。
それでも一ヶ月ほどで自分から引いてしまうというマコト持ってひどい奴だ。


問題は友人と言える女性達。

ある子は同郷の女の子。
A君の高校時代の親友が好きだった子で、当時その子も上京していたので親友がA君に会わせて彼女を元気付けるように仕向けたのだ。
その晩その子は彼のアパートに泊まっていった。かわいい子で高校時代、クラスのほとんどの子が好きになったほどと親友は言っていた。

その子は寝ぼけてA君に絡んで;きたが手をださなかったらしい。
A君曰く、それは親友への裏切りは絶対にしてはならないと思ったそうだ。
(H曰く、横浜の連中では絶対にありえないことらしい...私もそう思う)

近くの寮に棲む学校の仲間の女の子がいた。Yちゃん。
彼女はA君に”十文字のキズを持つ男”と名付けた子だ。別にキズを見せたわけではない。


学校は2年制で試験が年に4回とかなり厳しいものであった。
試験は1週間続く。つまり年に4回、一週間に及ぶ一夜漬けがあるのだ。
何故かこのYちゃんは一夜漬けが始まると毎晩泊まりこんでいた。
(今思うと、なんでA君のアパートで勉強していたんだろう?科も違うのに)

ほかに例のHも遊びに来ることもあった。
YちゃんにもA君は手を出さなかったという。
他に彼女もいたそうだしYちゃん(かわいい子だったと)を友達として大事に扱っていたんだと思う。
H氏、曰く”お前バカじゃあねえの?なんで何もしないの?”

もうひとつ、A君には忘れられない思い出がある。
高校時代に付き合っていた後輩の女の子が地元から単身で電車に乗ってはるばる彼のアパートにやってきた。
彼女とは正式に付き合っていたわけではなかったが彼女の気持ちは何となく分かっていたそうだ。

彼女はなんとなしにA君の東京での新しい生活に気づいたのか、はっきり別れ話を切り出したのか忘れたが、
夜の蒲田の町に飛び出していってしまったのだ。
これにはA君も焦った。
ドラマじゃ無い!

彼女は東京に来るのも初めてで、蒲田がどこかなんて分かる訳も無い。
A君も慌てて飛び出して彼女の後を追った。

駅で何とか捕まえて泣いている彼女を他の先輩の家に送ることにした。
そこはA君も知っている同じ高校の同級生の男のアパートで彼女の女友達が待っていた。

そこで彼女とはさよならとなった。
A君は何も言えず踏み切りの前でズルズルと歩って行く彼女を見送っていただけだった。
 

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